小野ソフィア | シニアタレントインタビュー
小野ソフィアのこれからの10年を楽しむ秘訣
2020年10月 ミュージックバンカー在籍
エキストラ出演、ラジオパーソナリティー
興味で始まった芸能活動
鳥羽 シニアタレントとして活動を始めたきっかけを教えてください。
小野 もともと劇団に入って演劇をやっていたので、その影響が大きいです。
鳥羽 なるほど。その劇団ではどんな役を演じていたのでしょうか。
小野 ありがたいことに主役を演じさせていただきました。二年間かけて日本全国の小学校をツアーしたこともあります。それが私にとって最初の芸歴です。
鳥羽 そこで様々な技術を身につけたのですね。
小野 発声や踊り、歌唱などのレッスンを何カ月も行いました。そこで初めて商業的な技術を身につけました。
鳥羽 そもそも演劇を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
小野 決して好きなわけではありませんでした。中学生まではバレーボール部で、高校生になって部活選びに悩んでいたとき、窓から発声練習が聞こえてきて興味を持ちました。
鳥羽 珍しいですね。発声練習を聞いて興味を持ったのですね。
小野 そうです。面白そうに見えたのです。でも、入部当初は軽い気持ちでした。
鳥羽 つまり高校三年間で演劇に対する意識が大きく変わったということですね。そこには何かエピソードがあるのでしょうか。
小野 稽古を重ね、時間が経つにつれて演劇が大好きになっていきました。本当に演劇は奥が深いです。人間の感情の機微を読み取って演じないといけない演劇が、面白くて仕方なかったのです。
鳥羽 確かにそうかもしれませんね。
小野 演劇は周りのみんなと作り上げるものです。その体験も新鮮で、とても面白いものでした。演劇コンクールや、文化祭はとても楽しい思い出です。
鳥羽 高校の演劇部で一番心に残ったことは何でしょうか?
小野 自分が書いた脚本で演劇ができたことです。
鳥羽 どのような内容の脚本だったのでしょうか?
小野 少しシュールな学園ものでしたね。脚本を書いて、他者に演じてもらうというのがとにかく面白かったです。
鳥羽 その経験があって、専門学校でも演劇をやっていこうと思ったのですね。専門学校を卒業し、劇団に入団。のちにツアーまでするわけですね。
小野 そうですね。
鳥羽 そのあと、劇団を辞めることになったと思うのですが、その理由や背景はどのようなものでしたか?
小野 燃え尽きたというのもありますが、大きな理由としては劇団で「オズの魔法使い」のドロシー役を演じたからですね。
鳥羽 ドロシーと劇団を辞めたのは、どのような関係があるのでしょうか。
小野 ドロシーはアメリカの女の子なのです。演じているうちに本当にアメリカに行きたくなってしまい、留学したのです。
鳥羽 それで劇団を辞めたのですね。日本へ帰国してすぐに劇団には復帰したのでしょうか?
小野 いいえ、留学の経験を活かして英語を使う仕事をしました。
鳥羽 劇団や芸能活動に対する未練はありませんでしたか?
小野 未練が無いわけではないですよね。でも、なんだかんだ演劇で培った技術って普段の生活でも使うじゃないですか。自分の気持ちをわかりやすく相手に伝えたり。
鳥羽 そこからしばらく社会人生活を送っていくわけですね。その後、芸能活動を始めた場所はどこになるのでしょうか?
小野 大学生の自主映画にエキストラとして出演しました。
鳥羽 自主映画のエキストラを経験してからシニアタレント部に入ったのですね。
小野 はい。Webサイトでミュージックバンカーのシニアタレント部を見つけて、入ることにしました。
鳥羽 シニアタレント部のどこに魅力を感じましたか?
小野 仲間を見つけられるという点です。あとはコンセプトもよかったです。ミュージックバンカー代表の水谷さんが「お母さんのために作った」とおっしゃっていて、そういうのも素敵だなと思いました。
鳥羽 今のところ、楽しく活動しているのですね。
小野 エキストラ案件も、レッスンもラジオも楽しくやらせてもらっています。エキストラ案件も、レッスンもラジオも楽しくやらせてもらっています。エキストラ案件は、一般の生活では知ることができない業界の裏側も知れるし、レッスンも毎回自分の演技力の向上を感じることができます。FMラジオも収録回数を重ねるごとに、自分の欠点や強みを把握することができて面白いです。
鳥羽 最後にシニア世代の方々へメッセージをお願いします。
小野 趣味がない、やりたいことがない方でも、ミュージックバンカーは受け皿がとても広い場所です。一度ミュージックバンカーの門を叩いてみれば、新しくて楽しい経験が待っているかもしれませんよ。ぜひ、私達と一緒に芸能活動をしてみましょう!