本記事は、【芸能界】「夢食いビジネスに騙されるな」という「すり替えビジネス」に騙されるな のアンサーコラムです。先にそちらをお読みください。

努力が報われない役者の視点

知名度だけで選ばれる芸能人のイメージ

努力してるのに、なぜあの人じゃなく自分が選ばれないのか!

これは、無名の役者たちから最も多く聞く言葉の一つです。
たしかに、芸能界の現場では、芝居が上手い人よりも、名前が売れている人の方がオーディションに通りやすい現実があります。 でも、それを「理不尽」と切り捨てる前に、もう少し冷静に構造を見つめるべきです。

本記事を読むべき人
  • 役者や声優を志して努力しているが、なかなか結果が出ずに悩んでいる人
  • 芸能界の構造を正しく理解し、自分の戦略を見直したいと考えている人

下手でも知名度がある人が選ばれるのは「当たり前」

撮影現場

T氏T氏

下手なのに知名度だけで選ばれている人間が、無名の実力派役者のチャンスを奪っている

T氏はこう述べますが、タレント側の気持ちとしては解ります。現場で一緒になるたびに「あの芝居で、なぜあの人?」と疑問を抱くことは少なくない。
でも、それを「芸能界の闇」として片付けるのは、あまりにも表層的な見方です。

「興業としての成立」が前提

まず冷静に考えてみてください。舞台でも映像でも、最終的に制作サイドが目指すゴールは何でしょう?
それは「興業としての成立」です。ゴールである以上、そこがロジックの起点でもあります。
つまり、まず人を集めないと話にならない。採算が取れないものに、作品を作る意味はないのです。

では、その集客の最大要素は?

答えは明白。「知名度」です

これは感情論ではなく、経済原則の話。知名度とは、それだけで広告効果があり、事前集客力がある、ということ。
芝居が上手いか下手かは、二次的要素に過ぎません。
もちろん、作品全体としての評価には芝居力が影響しますが、それは集客の後の話。入口の段階で、優先順位が明らかに違うのです。

技術至上主義の幻想

役者にとって「芝居がうまいこと」は誇るべきスキルです。
でも、だからといってそれが「報酬」「起用」「人気」と直結するとは限らない。
そこに気づけないと、ずっと報われない努力を続けることになります。

  • 「無名だけど芝居は一流」
  • 「誰よりも努力している」
  • 「人の何倍もレッスンに通っている」

これらは、確かに素晴らしいこと。でもそれだけで評価されるのなら、もっと無名の天才が表舞台に出ていていいはずです。
ところが現実は違う。

たとえばテレビに出ているあの芸人も、CMに出ているあのモデルも、「技術面で言えば微妙」と言われることも多い。
でもなぜ、彼らが選ばれるのか?

それは「必要とされているから」です。
彼らを起用すれば「話題になる」「ニュースになる」「人が集まる」。
つまり、それだけで作品として成立する見込みが立つからです。

芝居が上手いかどうかは、起用の理由にはなっても、動機にはなりません
ここを混同すると、永遠に見当違いな努力を続けてしまうのです。

人気者がいなくなっても、チャンスは来ない

知名度のある人が役を独占しているから、自分に出番がない!

という主張もよく聞きます 。
私も昔は、若手声優志望者たちと会食をする度に、飲みの席でそんなクダをよく巻かれたものです。
でも仮に、今テレビや映画で起用されている全員の「知名度俳優」が一斉に引退したとします。そのとき、果たして無名のあなたに、チャンスは来るのでしょうか?

答えは100%NOです

おそらく代わりに起用されるのは、「次の話題性がある人」「すでにSNSでバズってる新人」「業界関係者との繋がりがある人」など、別の集客理由を持った人たちです。

つまり、知名度俳優がいなくなったとしても、起用のロジックは変わりません。
実力だけで役を掴める世界なら、もっとストイックな役者が表に出ていて当然なのに、そうならない。
これはつまり「構造の問題」ではなく「認識の問題」なのです。

T氏は、こう発言して堀江氏を激怒させました。

T氏T氏

堀江氏の演技は下手だから、舞台に出ないでほしい。そのような下手な有名人が舞台や映像に出ることで、まだ売れていない技術のある役者たちが芸能のチャンスをもらえない。

堀江氏主宰の興行において、「堀江さんは下手だから出るべきではない」という文脈でしたが、そんなこと言ったら当然怒りますよね。
お客さんは堀江氏を観に来ているんですよ? 堀江氏が主演しなければ、興業自体存在しえない。
であれば、堀江氏が主演しなければ、無名の役者にはさらにチャンスが失われるわけです。

「自分の価値」を測るモノサシを間違えていないか?

自分の価値を測るモノサシのイメージ

努力を否定する気はまったくありません。むしろ、努力こそが役者の土台。
でもその努力のベクトルが、どこを向いているのかが大事です。

役者は演技がうまい、歌手は歌がうまい、そんなことは前提中の前提ですよね。その上で、自分でなければならない理由を証明しましょう。

その方針、逃げじゃない?

芝居力を高める稽古はもちろん必要。でも同じくらい、自分をどう売り込むか、自分の存在をどう認知してもらうかに注力すべきです。

今あなたを起用すると、誰にどんなメリットを与えられるのか?

そこを起点として立ち回らなければ、永遠とチャンスはやってきません。

「俺は芝居だけで勝負したい」というのは、正直な話、逃げでもあります
そう言っている間に、隣の誰かはSNSを活用し、自分の知名度を広げ、次の仕事を手に入れています。

昔、我が社でも小規模劇団やユニットが、こぞって誕生した時代があります。
きっかけとしては私自身が旗を振って最初の劇団を形にしましたが、それに続けと、次は役者たちが自らの意思でグループを作り、たくさんの小劇団やユニットを立ち上がりました。

自ら興業を運営し、自らを起用することで、自ら機会を作ることができる。これは理にかなった正しいスタンス。良い傾向ではありました。
しかしその興業自体がうまくいかないと、多くの者が下記のように言い残し、折れていきました。

自分や役者だから、本当は芝居だけに集中したい

自らの志を前提からすり替え、逃げて行ったあの子たちは、今どうしているでしょう?
漏れなく、今も変わらず売れていないか、とっくに芸能を辞めています。

技術を磨きながら、自分の存在価値と意義を確立する。
その両輪で走らないと、いつまでも「報われない努力」に甘んじることになります。

芸能界は「役者市場」ではない

芸能界は「演技がうまい人を集めて芝居合戦をする場」ではありません。
あくまでエンタメ産業であり、娯楽ビジネスの一環です。
観客を喜ばせること、スポンサーがメリットを感じること、制作側が話題を作れること。それらすべてが成立して初めて「一つの作品」が世に出るのです。

 演技力はあって当たり前。その上で…

あなたでなければならない理由を証明しましょう。

必要なのは「この人が出ているなら見たい」と思わせる影響力なのです。
冷静に考えましょう。あなたが起用側だとしたら、頑張っている何千人の中で、あなたを起用する必要性があるか?

今は、昔よりもはるかに影響力を作れる時代なのです。YOUTUBE、SNS、ライブ配信など、方法論はいくらでもあります。
四の五の言わずに、数年継続してみたら景色が変わるかもしれません。
テーマを決めて、ブランディング戦略を固め、どんどんアウトプットするのです。

上記のようなことは、独りでは難しいですか?
であれば事務所に所属して協力してもらいましょう。そこに親身に相談に乗ってくれる事務所を探しましょう。

事務所は職業斡旋所ではありません。タレント業は隙間バイトでは成立しません

その本質が解っていないとすれば、TB社はちょっとどうだろう、と思ってしまう次第です。

今回のまとめ
  • 努力や技術は起用の「理由」にはなっても、選ばれる「動機」にはならない
  • 「自分は芝居だけで勝負したい」というのは、逃げ

芸能界は実力主義ではなく、まず興業として成立するかどうかが最優先される世界。努力や芝居の技術は大切だが、それだけでは選ばれない。何かのボランティア業界ではないからです。
無名の役者が報われるためには、自分の武器を見極め、影響力や発信力も含めた「選ばれる存在」になりましょう。

たとえ演技が下手な有名人がキャストから降りても、だからといってあなたにチャンスのお鉢が回ってくることはないのです。

下記募集に興味ある方は、本コラムを読んでからエントリーしましょう!

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